調べると、日本人の影響も大きいことがわかってくる。
生誕80年・没後40年:俳句を愛し、禅に共鳴したジョン・レノンの魂が生んだ「イマジン」と日本との絆 | nippon.com
インドはまだ西洋と東洋のまん中ぐらいの所で、人の顔も少し西欧系が入っている。しかし日本はアジアの端で、いわば一番西洋と対極まで来てしまったところ。
ポールにくらべ、歌詞の比重の大きいジョンには、俳句という「短い」表現は、強いインパクトを持ったようだ。以降、歌詞はシンプルな言葉に意図を集約して、無駄のない表現をとるようになっただろう。
また、「イマジン」の天国も地獄もないという世界観が、白隠という僧侶の言葉に触発されたものかもしれないということが、上の引用記事からわかる。
もちろん「イマジン」は、’76年からの日本での数回の滞在期より前に書かれたものだから、たまたま似たようなことを考えていただけかもしれない。ジョンは学生時代に東洋好きの友達がいて、そのころから禅なんかも知っていたらしい。
なんとなく、軋轢や戦いも多い西洋の社会より、一見穏やかな、物静かな日本の社会を、ひとつの理想のイメージの源泉にしていた可能性がある。
今回紹介するのは何の歌にしようか迷い、’74年の別居時期の解消後にできたと思われる名曲と、その後の’76~’77年日本によく来ていた頃に、ヨーコ、ショーンを思って作ったと思われる、とても日本的なこの曲にした。
Glow old along with me 僕といっしょに歳をとろう
Two branches of one tree 一本の木の二本の枝が
Face the setting sun 沈む夕陽をみている
When the day is done こうして一日が終わる
God bless our love God bless our love 神よ僕らの愛に祝福を
Spending our life together いっしょに人生を過ごす
Man and wife together 夫と妻がいっしょに
World without end World without end こういう世界には終わりがない
この日々には終わりがないんだ