歌詞解説のLyricsonic リリックソニック

たまーに更新。和訳、ライターの仕事募集中です。

The Beatles "Nowhere Man"

ポール前期の代表曲がyesterdayなら、

ジョン前期の代表曲はこれだと思う。ジョンの考えが垣間見える。

 

He’s a real nowhere Man 彼は「どこでもない男」
Sitting in his Nowhere Land, 「どこでもない国」に座り込んで
Making all his nowhere plans 「どこのためでもない」計画を
For nobody だれのためでもなく作ってる

 

Doesn’t have a point of view 「物事への視点」を持たず
Knows not where he’s going to, どこへ行くかも知らない
Isn’t he a bit like you and me? それってキミやぼくに似ていないかい

 

Nowhere Man, please listen, どこでもない男よ 聞いておくれ
You don’t know what you’re missing, キミはなにを寂しがってるのか気づいてない
Nowhere Man, the world is at your command どこでも男 この世界は キミの言うことなんでも聞いてくれそうなのに

 

He’s as blind as he can be, 彼はこれ以上ないほど盲目
Just sees what he wants to see, 見たいものしか見ていない
Nowhere Man can you see me at all? どこでも男よ ぼくが見えてるかい

 

Nowhere Man, don’t worry, どこでも君 心配するな
Take your time, don’t hurry, 時間をとれ 急ぐなよ
Leave it all ‘till somebody else なすがままでいいよ 誰かが
Lends you a hand キミに手を差し伸べてくれるまでは

 

Doesn’t have a point of view 何の自分の意見もなく
Knows not where he’s going to, どこへ行くかも知らない
Isn’t he a bit like you and me? それって キミやぼくに似てないかい

He’s a real nowhere Man やつはほんとにどこでもない男

Sitting in his Nowhere Land, どこでもない国に座り込み
Making all his nowhere plans for nobody 誰のためでもない計画を
Making all his nowhere plans for nobody 今日も練っている

 

どう訳すか悩んで、「どこでもない男」。

自分がどこに帰属するかわからない感覚。だから自分は天才だと言っていた。

子供のころ、長い時間、叔母さんの家の二階で、ただぼおっと窓の外を見ていたろう。

それはつらい時間でもなくて、夢見るような、ふわふわした時間。

その中で、いろんな空想や、友に見せる「日刊新聞」のネタなんかを

考えていたんだろう。

この不思議感は、「ストロベリーフィールズフォレヴァー」の歌詞にもある。

ただなんとなく寂しい気持ちがあって、懐かしがっているのは誰か、というのはご想像にお任せします。

 

二番の歌詞で『待ってたら手を差し伸べてもらえる」っていうところが、

楽観的でまたいい。

実際にジョンにはそういうことが起こっていたってことで、幸せものだ!

空想の世界に属する。イマジン=イマ人=ひまじん。

イマジネーション。

あふれ出す想像力、

空を見る人。

空に帰属する人。NOWHEREは空だった。

このイギリスののび太にヨーコというドラエもんが現れて、ふたりはタケコプターで飛んでゆくのだ。新解釈!

 

NOWHEREというのは、いまはどこも誰も信じたくないだけで、ジョン自身は確かなものを探し続けていた。いつか、どこかで(Somewhere,in the futur)、それは見つかるよ! つまりもうこの時期に、イマジンの原型が出来上がっている! あとはヨーコドラエもんと出合い、夢を実現するだけさ!

 

ひとりぼっちのあいつ

ひとりぼっちのあいつ

  • provided courtesy of iTunes

yculture.hatenablog.com

ビートルズ青春物語(4) ”Yesterday”

さあ世界最高の名曲をどうぞ!

ジョンびいき、ポールびいき、色々だろうが、僕はどちらも好きである。

どちらも捨てがたい、とてつもない魅力。

Yesterday 昨日には
All my troubles seemed so far away すべての悩みは遠ざかったかに見えた
Now it looks as though they’re here to stay でもいま、その悩みがまたここにある

Oh, I believe in yesterday ああ昨日には 信じていたのに    

 

Suddenly 突然に
I’m not half the man I used to be 僕はいままでの僕の 半分にも足らない人間になってしまった
There’s a shadow hanging over me 僕の上に影がかかって
Oh, yesterday came suddenly ああ昨日 それは突然来た

 

Why she had to go なぜ彼女は 行かなくてはならなかったのか
I don’t know, she wouldn’t say 僕は知らないし 彼女も言わないだろう 
I said something wrong 何か変なことを僕が言ったか
Now I long for yesterday いま僕は 昨日のことを悔やんでいる

 

 

この歌も、やはり14歳で亡くしたお母さんを歌ったものだそうです。(2番の歌詞は、恋愛とも取れるように書いてあります。)

ポールのお母さんは最初看護婦、その後より収入が多いと言われ助産婦になりましたが、日本でも産婦人科が忙しいように、朝から遅くまで働いていたそうです。

音楽に満ちた家庭で、とても暖かい環境のなか、ポールと弟のふたりはよく勉強もし、近所でも評判のよくできる兄弟として、親も自慢だったようです。

ポールが解散前、なんとかメンバーをまとめとどめようとして、悪戦苦闘し、かえって孤立して、実は解散後も長い間虚脱状態だったと聞くと、彼のまじめで家庭的な性格が裏目に出て、可哀そうだったように思います。

 

今日はしんみりした回でしたね。

 

追記 松村雄策著 ウィズザビートルズ によれば、この曲はある朝起きたとき、完全にポールの頭の中に出来上がっていたのだという。それをストックしておいて、1年後ぐらいに録音したそうだ。

イエスタデイ

イエスタデイ

  • provided courtesy of iTunes

yculture.hatenablog.com

 

 

John の「デイリー・ハウル(Dayly Howl 日々咆える)」

中学時代、ジョンはノートに漫画と記事を書いていた。自作の日刊新聞で、友達に読んで聞かせる。

 

ジョンのあふれる表現の意欲が見えますね。

これがあったから、中学の先生が、彼を美術学校に推薦してくれたようです。

吠えるという題名。

吠えること、若者らしい、言いたいことが山ほどあった。

吠えたいロックに繋がってゆく。

ロックンロールはやはり、当時強い表現、若者が自分を表現するのに格好の手段だった。

この新聞を聞かせていた悪友の一人がピート・ショットンで、彼は最初のバンド、クオリーメンの創設メンバー、というよりジョン以外の唯一のメンバー。担当は洗濯板!! ここで、ジョージが最初洗濯板しか貰えなかった理由判明。スキッフルというロックの前形態では、ドラムは洗濯板(ウォッシュボード)だったのです!! (最後尾動画参照)

ジョンはポールに音楽を教わりながら、セブンスコードを多用した独自の作曲法を編み出してゆく。

セブンスコードならこの曲。

 

It’sbeen a hard days night 今日は忙しい一日

And I'd been working like a dog 犬みたいに働いた

it's been a hard days night 忙しかった

I should be sleeping like a dog  丸太みたいに寝たい

but when I get home to you でも家に帰って君に会い

I find the thing that you do will make feel all right  君がしてること見てると今はいい気分さ

ア・ハード・デイズ・ナイト

ア・ハード・デイズ・ナイト

ツイスト・アンド・シャウト

ツイスト・アンド・シャウト

 

 

 

yculture.hatenablog.com

ビートルズ青春物語(3) ジョージはどんな子だったか

yculture.hatenablog.com

リンゴについてはまた別に紙面をとるが、ジョージという存在が、とても重要だったことは疑いを待たない。

その性格が、ギターワークと共にとても大きい役割を担っていた。ジョージについて言われる、暖かな、やんわりと相手を包み安心させる存在感というのは、ビートルズ全体をも包んでいて、だからジョンのとがった曲でも、それほどざらついた感じにならないのである。

ジョージの両親はとても社交的な人たちで、父は町の音楽酒場で働く人気者、ある有名なコメディアンを口説いて、プロになる後押しをした逸話がある。

ボブディランとも仲が良かった。

 

ジョージもそういうお父さんの性格を引き継いでいたのである。

ポールの半年後に生まれ、学年は一つ下だった。最初お兄さんはギター、自分は洗濯板。(想像すると可愛い。)だがお兄さんのギターで練習しているのを見て、やがて買ってもらえた。

ポールと同じ市内の賢い学校に受かり、通学バス友達になる。毎朝バスでぺちゃくちゃ音楽のことなどしゃべっていたのである。仲が良くて一緒に旅もしたというから、解散後二人が一時疎遠になったのは悲しいが、臨終時にはポールとリンゴが両手を取っていたらしい。

1957年、ポールがジョンと出会った夏、ポールはジョージとヒッチハイクの旅に出たらしい。インタビューでわかるのは、それがどうやらウェールズへの旅だったということ。その後も、二人、あるいはジョンも加えて、何度かヒッチハイク旅をしていたようだ。夢に満ちた旅路。何を話し、どんな冒険があっただろう?

 

いろんな名曲があるけど、今日はサムシング。

やわらかい曲で、彼の人柄をよく表している。

Something in the way she moves attracts me like no other lover

彼女の身振りの何かが ほかの誰よりも僕を惹きつける

Something in the way she woos me 彼女が愛を求めるときとか

Don’t wanna leave her now you know I believe and how

彼女を置いてゆきたくない わかるでしょ 僕は信じてる どうすべきかも

 

Something

Something

  • provided courtesy of iTunes

 

ビートルズ青春物語(2)Rock Island Line

前回ポールとジョンの最初の出会いを描いたが、

偶然動画でその場面を見つけた。興味のある人はどうぞ。

テレビドラマか何かだが、基本的にこういうもの、ジョンもポールも

他人が演じていて、違和感は否めない。一応貼っておく。

後ろのほうでひとり聴いていた女性がまだ元気だったジョンの母。

さてもう一本別バージョン。こっちのジョンがやや太め。


www.youtube.com

さてポールは会った日の翌日、もうジョンの家に居てバンドに誘われたのだが、弟とのボーイスカウトを理由に、断ったのだった。ほかに、家族旅行、そのあとジョージとの!ヒッチハイク旅行の予定も会った。(この旅の記録が残っていたら、小説か映画で再現をして、じっくり見てみたいものだ。なにを語り、なにを夢見たのだろうか。)ジョンたちのバンド、クオリーメンは、ジョンの親友ピート・ショットンとともに、8月7日にはもう、都市中心部の、伝説のキャバーンクラブ(Google マップ)に出演を始めている。

そして、ポールがはじめてこのバンドで演奏するのが、10月なのである。まだ15歳だった。その日が小さな、ビートルズ誕生の日なのかもしれない。

実際この最初の1,2年を、じっくり調べて小説にしたい野望を持っている。

ジョンはすでに曲の審美眼のようなものはあって、その強いこだわりから、やがて自分の音楽を作り出してゆく。デビューアルバムにオリジナルが8曲もあったのは、当時異例だった。

歌詞。

Now this here's a story about the Rock Island Line ロックアイランド線というローカル線があったのさ
Well the Rock Island Line she runs down into New Orleans ニューオリンズに行く
There's a big tollgate down there and you know 大きなゲートがあって
If you got certain things on board when you go through the tollgate 荷物を載せるときはそれを通った
Well you don't have to pay the man no toll しかし積み込みにチップは払わなかった
Well a train driver he pulled up to the tollgate 運転手が自分で引き揚げたのさ
And a man hollered and asked him what all he had on board and said そして積み荷は何かと尋ねれば
 
I got livestock 生活用品
I got livestock また同じ
I got cows 牛
I got pigs 豚
I got sheep 羊
I got mules ムール貝
I got all live stock 生きるためのものさ

 

Rock Island Line

Rock Island Line

  • ロニー・ドネガン
  • ポップ
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

yculture.hatenablog.com


 

リヴァプールの地図で一周 ビートルズ物語(1)

地図でグルグル回るのが面白い。

ポールの学校(いまは美大になっている)Google マップ

から、大聖堂前の道を

ちょうどペニーレインの教会堂の前の広場(ペニーレインの記事の回でリンク)

街の風景 "Penny Lane" - 歌詞解説のLyricsonic リリックソニック

で別のバス(76番)に乗り換え。

メンローヴアヴェニューという大きな道一本で

ジョンの家。

ジョンの家から市内へは76番のバスで一本道。

(バス停の名はEvesham Close Google マップ)

Merseytravel Bus Routes

ポールが13歳で引っ越したちょっと大きめの家は、

ジョンの家の前の大きなゴルフ場をまたいで向こう側、

1,4キロ。

この距離に天才が二人居て、

1957年6月9日(ジョン16歳、ポール14歳)に偶然会うまで

知らない同士。

6月9日、ウールトンのパリッシュ教会 Google マップ

のイヴェントに、ジョンのバンドが出演し、

4時15分と5時45分の二回、バザー会場の脇で歌った。

楽屋にポールが行くと、ジョンは下手くそなエディ・コクランの「Twenty Flight Rock」を歌っているところだった。

世話好きのポールが、これはいけないと、正しいコードと正しい歌詞で、その場で弾いて見せた。それにほれぼれしたジョンが、もう翌日ポールを家に招き、バンドに入らないか誘うのである。

しかしポールはまだ子供で、弟とサマーキャンプの行事があり、断るのだった。

(続く)

 

Ooh, well I got a girl with a record machine
レコード機をもってる娘がいて
when it comes to rockin' she's the queenロッ
キンダンスなら彼女がクイーン
we love to dance on a Saturday night土曜の夜
には踊りたい
All alone where I can hold her tight
二人きりなら彼女をきつく抱きしめられる
But she lives on the twentieth floor uptown
彼女は20階に住んでいて
the elevetor's broken down

エレベーターが壊れている
So I'll walk one two flight three flight four

1、2、3階、さあ4階
five six seven flight eight flight more

5、6、7、ハイ8階でもまだ
up on the twelfth I'm startin'to drag

12階で足を引きずり
fifteenth floor I'm ready to sag

15階でもうフラフラ
get to the top I'm too tired to rock

疲れすぎてもうロックできない

Twenty Flight Rock

Twenty Flight Rock

  • provided courtesy of iTunes

 

 

ビートルズ青春物語(2)Rock Island Line - 歌詞解説のLyricsonic リリックソニック

yculture.hatenablog.com

 

子ども時代 "In My Life" The Beatles

There are places I remember 想い出す場所がいくつかある

 

ジョンの、弱冠二十五歳の時の歌。この素晴らしい歌を聴きながら、今回は彼らの子ども時代を振り返ろう。

 

彼らの子ども時代。一番最初に生まれたのはリンゴ。リンゴの親も三歳のときに離婚し、彼は母と貧しく育った。15歳から鉄道や遊覧船で働き、その後機械工の見習いをしながら、ロックに夢中になった。やがてドラマーとして、街で注目をされるようになり、デビュー直前にメンバーにとスカウトされる。

ジョンの幼少期、別れる父と母の間で泣いたこともあったろう。母ジュリアの妹ミミは情愛深い人で、引き取ったジョンにありったけの愛を注いだ。腕白だった彼に、通販でギターも買い与えた。

中学ぐらいから近くに住む母の家に通い、彼女にバンジョーのコードを教わって、ギターを弾けるようになった。

ポールとジョージが他の二人より2歳若い。(正確にはポール6月、ジョージ翌年の二月末の生まれ。日本なら同学年、あっちだとジョージは一学年下になる。)

ポールは二人兄弟のお兄さん。お母さんは助産婦だった。面倒見のいい優しい性格は母ゆずりなんだろう。しかし14才で優しい母を失くす。それでジョンと気が合った。

成績がよく街一番の学校へバス通学。そこで不良の格好をしたジョージと出会う。兄のギターを奪ってまで熱心に練習していたのがジョージ。二人はギターの腕前を競い合う仲になる。

 

ジョンが始めたバンドに、まずポール、ついでジョージが加わる。もうひとり、ジョンの美術学校友達、スチュワート・サトクリフを強引にジョンがベースにしたが、下手でライブ中ポールが電源を抜いてしまうこともあった。

スチュは21歳で亡くなってしまう(映画「バック・ビート」)。ジョンの母ジュリアが、17歳の夏、ジョンが家で待っている時に、交通事故で亡くなったのは前にも書いた。そうしたことが、以下の歌詞にも反映されているようだ。

 

There are places I remember 想い出す場所がいくつかある
All my life though some have changed これまでの人生で いくつかは変わったけれど
Some forever not for better いくつかは同じで 良くもならない
Some have gone and some remain 行ってしまったもの 残ったもの
All these places have their moments これらの場所にはそれぞれの思い出がある
With lovers and friends I still can recall 恋人や友達 みんな覚えている
Some are dead and some are living 死んだ奴もいるし生きている奴もいる
In my life I've loved them all 僕の生涯を通じ彼らみんなを愛するよ

But of all these friends and lovers でもすべての友や恋人と比べても
There is no one compares with you 君にかなう者はいない
And these memories lose their meaning こんな記憶も意味を失う
When I think of love as something new ま新しい 君への愛を思うと
Though I know I'll never lose affection 記憶の彼らや物たちに
For people and things that went before 愛情を失うことはないと知っているけど
I know I'll often stop and think about them 彼らや街のことを たまには立ち止まって想い出すだろうけど
In my life I love you more それ以上に今日からは君を愛するよ

 

早く結婚した妻、シンシアへ捧げた歌だ。

ミミおばさんやシンシア、友人に愛され、既に成熟して大人になった風格がある。

和久井版「ビートルズ」によると、いつも番長はジョンで、強いリーダーだった。

(動画中盤、ジョンの家、ポールの家。その後ライブハウス”キャバーン”。)

イン・マイ・ライフ

イン・マイ・ライフ

ラバー・ソウル

ラバー・ソウル

Amazon

とても詳しくよくまとまった本。